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要介護5の母の介護記録【vol.1】乳がん全摘から五年経過。そして・・・。

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要介護5の母の介護記録【vol.1】乳がん全摘から五年経過。そして・・・。
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中々受け入れられなかった、事実。

あんなに活発で聡明だった母が何故、認知症に・・・?

今思えば、母が認知症を発症したのは、ふとした時に「・・・何かおかしい?」
と薄っすら思い始めた時より、もっと早かったのかもしれません。


まさか、自分の母親が認知症かも知れないという事自体を、
「認められない。」「受け入れたくない。」
という、私の勝手な思いがそうさせていたのかも知れません。


人生には、「上がり坂」「下り坂」、そして「まさか」があるといいます。
その、まさかが現実になろうとは・・・。

その、まさかの始まりとなったであろう、乳がん全摘手術から再発までを
振り返ってみます。


ガン宣告は突然に。

あれよあれよという間に過ぎる日々。

元々、母は若い時から乳腺症のしこりがありました。
所謂良性のしこりです。


たまたま、乳がんサバイバーの女性タレントがバラエティー番組に出ていて、
乳がんのセルフチェック方法を披露しており、真似をしてやってみたところ
少し前から分泌物が出ていた事も気になり、近くの産婦人科を受診した母。


診察を終えた医師に険しい表情で、

「大きい病院で診断をうけて下さい。」

と告げられ、良性のしこりがガンの疑いあり、との診断を受ける事になりました。
平日の早い時間に受診したこと、たまたま予約もすぐ取れたため当日受診出来るよう
手配してくれたそうです。



仕事中の私のケータイが鳴りました。


「お母さん、今病院に行ったらガンかもって言われたわ、今日は病院のハシゴよ。」

本当に大丈夫なら、わざわざ電話をかけてくる筈もありません。

「え・・・?大丈夫?!病院付いていこうか?」
「大丈夫大丈夫!心配いらないから。行ってくるね!」と電話を切る母。


数時間後、あっけなくガン宣告を受け、空元気で明るく振舞いながらもすっかり意気消沈している母を見るのがとても辛かったです。

がんサバイバーとは、がんの診断を受けてから、その後を生きていく人々のことを指す。

出典 http://ja.wikipedia.org

退屈と拘束されるのが、何より嫌い。

パジャマ姿の脱走常習者。

程なく入院が決まりました。

術前検査で乳がんは一箇所だけではなく、多数発生している事がわかりました。
当初予定されていた、手術は部分切除で温存する方向でという案は無くなりました。

全身麻酔での手術は無事終わり、麻酔が切れた後の痛み、傷の痛みに耐えながら
リハビリの日々が始まります。

腕を少しずつ動かすことから始まり、二十日程の入院を経て退院しました。



母は入院中「部屋にいてもおもしろくない。早くうちに帰りたい。」と、
いつも病室から脱走していました。

術後、ドレーンも抜けておらず、まだ手術からそう時間も経ってない頃から、
頻繁に脱走していたので、看護師さんが目を光らせていた程の脱走常習犯でした。

毎日、お見舞いという名目の「見張り」が、私の日課になっていた程です。


また、時には渋る私を盾にパジャマ姿でこっそり病院を抜け出し、
父の経営する飲食店の機械のメンテナンスをして、
満足気な顔をしてこっそり部屋に戻ったりしていました。

とにかく、じっとしていられない性分の母。
暇さえあれば、いそいそと動き回っていました。

そんな忙しい母とは対照に、のん気でのんびりしている私。
いつも「さっさとしなさい!」「時間が勿体無い!」と檄を飛ばされる事が
日常茶飯事でした。


母が全摘手術を受けたのは、暑い真夏。

真夏にウロウロして汗をかいた事から、傷が化膿しかけた退院直後こそ、
渋々嫌々ブーブー文句を言いながら大人しく床についていましたが、
一ヶ月もしない内から精力的に動き始めました。

それまでの活動量を落とすことなく、寧ろそれまで以上。
懸命に仕事をしている間は、病気の事を忘れることが出来たからでしょうか。

大切なお客様、長年の戦友との相次ぐ別れ。

精神的なダメージを立て続けに二度も受ける。

ガンの治療として思い浮かぶのが「抗がん剤」。

副作用で髪の毛が抜けたり、不快な症状が多数表れてくる事で知られています。
故・小林真央さんの闘病生活でも、副作用の酷さが垣間見えていました。

幸い、母は薬の中でも副作用が軽いとされているホルモン剤を服用しながら
傍目には手術前とさほど変わらない闘病生活を続けていました。

変わらないものなんて、ありません。
時の流れと共に、刻々と変化していきます。


ある日、突然母の一番のお客様が亡くなりました。


母は、販売会社の全国表彰にも呼ばれる、物販のトップセールスでした。
知人に勧誘され、40代で初めて報酬制の物販セールスの世界に飛びこんだ母。

入社後、全く売れない日々を過ごしながら、じわじわと成績を伸ばし、
一年も経たないうちに頭角を現し始めました。


母が長年トップセールスでいられたのは、良いお客様とのご縁があったから。
お客様というより、友達の様な存在だったと話していました。

「類は友を呼ぶ」といっては少しおこがましいですが、私も母のお客様と
お話しする機会を持つこともあり、似た様な人の所に似た様な人が引き寄せ
られてきた、と感じていました。


店長曰く、母はお客様ひとりひとりの好みを全て把握していて、お勧めしたものは
ほぼ100%購入に至るとまで言われていた程。

その中でも、一番の大口のお客様でした。

言い出したら一歩も引くことも無く、見え透いたお世辞が苦手で
「誰に対しても良い物は良いと言うけど、似合わないものは似合わないとはっきり言う。」という曲がった事が嫌いな母の良き理解者でもありました。


一番のお客様が亡くなり暫く経った頃、今度は長年の戦友として共に走り続けてきた同僚の方が亡くなりました。

招待旅行でご一緒する機会があったのですが、かなり黄疸が出ていて顔色が悪く、
そう長くはないだろうな、と感じていました。


肝硬変からの肝臓がんでした。


相次いで二人の大切なキーパーソンを亡くした母の悲しみは、想像を絶するものだった事でしょう。

乳がん全摘手術から五年目。医師の口から出た言葉は・・・。

乳がん自体の再発はナシ。・・・ただし。

それから月日は流れ、手術から5年を迎えました。
再発が多い乳がんの完治目安は、5年から10年に伸びたそう。

すっかり元気になった様に見える母。
再発の心配どころか、やっと病院通いから開放されるという期待に
胸を膨らませていました。

付き添いは大丈夫という事で、母一人で診断結果を聞きに行く事に。

私も当時外回りの仕事をしていたので、郊外の病院近くで昼食を一緒に取る
段取りをつけていたのですが、予定より早く母から電話がかかって来ました。

「結果聞いてきたよ・・・。」

「結果はどうだった?」

「・・・お昼に話す。」

・・・あまり嬉しくない結果だという事は、予想が付きました。



待ち合わせをした病院の近くの店で、重い口を開く母。

「・・・大腸に転移しとるかもって。また、入院して詳しく検査するみたい。」
「・・・そうなん?でも、仕方ないよね。」


テーブルを挟んで流れる、どんよりと重い空気。

ほどなく運ばれてきた、暖かくて美味しそうな食事にも中々箸を付けられず、
何と言って慰めの言葉を掛けたらよいのか分からず、
ただ、時間が過ぎていきました。


流石にいつもは気丈な母も、この時ばかりはずっと暗い顔をして沈んでいました。

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